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5日本刀oldJapaneseSword御不要の刀がありますれば、保存愛護のためどんどん買受けますので御連絡下さいませ。太刀助重(福岡一文字)(水戸徳川家伝来)重要刀剣刃長:2尺2寸5分反り:6分元幅:1寸先幅:7分(大業物)多々良長幸はあまりにも有名ですが、現存作がどう言う訳か無く、古来幻の刀の1本に入ります。本名多々良四郎兵衛。天和(1681年)(333年前)紀州から大坂に移住。河内守康永門、「大坂石堂」と称される中の代表刀工です。本刀は貞享四年(1687年)(329年前)鎌倉時代一文字を狙った最高傑作品です、姿は備前反で姿良く、地金は小板目肌最も良く詰み地沸が付き明るく鍛え、刃紋は丁子、重花となり、足、葉頻りに入り、わずかに砂流しかかり、飛び焼きがあります。本刀は一文字を狙い、貞享年紀が有り、更に南蛮鉄の添え銘が大変貴重です。地刃の出来が見事で日本刀大鑑所載の長幸の最高傑作品です。この様に素晴らしく上手な刀工の為に、江戸期は銘を消され大名物とされる備前一文字の刀にされた為に、多々長幸銘の刀が残っていないのでしょう。重要刀剣刀長幸於摂津国(貞享四丁卯八月吉日以南蛮鉄鍛之日本刀大鑑所載)刃長:2尺3寸9分反り:7分6厘元幅:8分8厘先幅:5分5厘青江には名匠が多く貞次、恒次、次家などは後鳥羽上皇の御番鍛冶として有名です。本盛次は古青江吉次の門で鎌倉時代正慶頃(1332年)(684年前)の備中青江の貴重な在銘の太刀です。旧幕時代は徳川家康の生母於大の方が嫁いだ久松家に伝来しておりました。本刀は身幅がやや細く反りの深い鎌倉末期の姿が良く、地金は小板目肌に杢が交り地沸がつき細かく地景が入り、地斑映りが現れ、刃紋は匂い口の締った広直刃調で足が良く入り、小沸良くつき素晴らしく刃中が明るく見事です。拵えも三所葵紋の松平久松家伝来を示す豪華な拵えが本盛次の太刀を一層華やかに飾っています。地金がすこぶる良く地刃も健全で、鎌倉期の青江の特徴を最大限に現した大名刀です。重要刀剣太刀盛次(備中青江)(伊予松平15万石久松家伝来)大慶直胤は出羽山形に生まれ、水心子正秀に学びました、大慶直胤は備前伝が特に得意で本刀は文政十二年(1829年)(187年前)大慶直胤五十一歳の作です、本刀は大慶直胤の刀の中で初めて重要刀剣指定された名刀です。第10回までの重要刀剣は選りすぐりで、多くの刀剣が特別重要刀剣になっており、指定の数が第10回までは特に少なく刀剣界では第10回までの重要刀剣は現在も別格扱いにされています。本刀は大慶直胤の備前長船景光を狙った大傑作太刀です。姿は堂々とした刀姿を現し、地金は小板目肌良く詰み柾ごころが交じり地沸が細かに付き、地には乱れ映りを現し、刃紋は互の目に小足がしきりと入り匂い口が締り、素晴らしく良く冴えた刃を焼いています。佐藤寒山先生の鞘書きに備前伝の作この右に出る作無しと最高傑作品である事を証明致しております。中島新一郎先生は、井上真改大鑑の著者として有名です。古来日本一の大慶直胤として有名な刀です。重要刀剣太刀刃長:2尺3寸2分半反り:7分元幅:8分8厘先幅:5分7厘福岡一文字は名工揃いで刀剣界の憧れの的ですが、残念ながら在銘の太刀は現存作殆無く無銘極めで福岡一文字とされた太刀が多少ありますが、本太刀は奇跡的な在銘の後鳥羽上皇の御番鍛冶助成と親戚であろう助重福岡一文字の太刀です。時代は鎌倉時代中期仁治頃(1240年)(776年前)の名工です。本太刀は姿は腰反りで細身で優美な姿を現し、地金は板目肌に乱れ映りが見事に現れ、刃紋は丁子乱れに互の目や小のたれが交じり、刃中に小足や葉がしきりに入り、匂いが深く金筋が見事に現れ福岡一文字の太刀の典型的な作品です。本阿弥光瞭先生の折り紙によりますと江戸期は水戸徳川家の伝来で、江戸初期の光山押形にも所載されて江戸初期から世に知られた太刀である事が判ります、明治時代の一番の刀の目利きと言われた今村長賀翁遺愛の太刀で、後石居健次氏、小池正之輔氏等昭和の有名な愛刀家に連綿と受け続けられたことが資料により良く判ります。刃長:2尺3寸2分反り:6分元幅:1寸7厘先幅:7分5厘出羽国住人荘司筑前大掾大慶直胤(花押文政十二年仲秋備前景光写)